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ワキタヤBLOG

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神道について調べたことをまとめてみる

まとめ

Infinity

日本会議について結構な数の神社が参画しているとの報道を見る。

なんとなく初詣に行くくらいの信仰心しか持っていなかったので、改めて神道について調べてみました。

メモ的内容ですが、せっかくブログを書いているので公開してみます。

非常にざっくりとした内容で突っ込みどころはいっぱいあるはずなので、興味を持たれた方はどうぞご自分でも調べてみて下さい。

「神」観念について

神の語源

「神」の語源は「カム」(隠れる)、「カミ」(上)と言われ奥深く隠れた存在、始まるところなどといった意味を持つ。

古神道アニミズム的特徴を持ち、自然、もしくはそれ宿るに「何か」を信仰の対象とする。

「何か」は「もの」ではなく「雰囲気」的存在であり、はっきりと対象化できない。また「何か」はヌミノーゼ(戦慄すべきものであると同時に魅了するもの)的なものであり、無条件で歓迎できるものではなかった。

「内」と「外」

時代が進むにつれて神道シャーマニズム的特徴を持つようになる。

神霊との一定のパターンを持った交流の形式が確立され、それによって特権的な霊能者を生み出し、それは政治的権力と一体となった。

政治的権力との一体化は共同体を秩序づけたが、個人と神との間に共同体が入ることにより「内」と「外」の分割が形成された。

史的展開

天皇と氏族の起源を権威づけようとした記紀神話が生まれる。

神武天皇はアマテラスの孫のニニギのひ孫されている。  

仏教が伝来すると融合して神の本体は仏とする本地垂迹説等々が発生する。

神は解脱を願っていると考える神身離脱の観念など仏教のほうが優れているという考え方のほうが多い。 

仏教が庶民に普及するに従い、御霊信仰も興隆した。

世界観・価値観の特徴  

古事記では世界は神々が住む高天原、人が住む葦原の中国、死者の住む黄泉の国は地続きでつながっている。 

イザナミを慕って黄泉国を訪ねたイザナギが、変わり果てた愛妻をみて、黄泉国から逃げ出したりと、歩いて行き来できるようになっている。

価値観の特徴として清澄を尊び、「穢れ」を嫌い、「内」は秩序があるが「外」は混沌であると考える。

「穢れ」は「祓う」ことが可能であり、「祓う」ことによって清澄な状態になる。悪や罪といったものは美意識の次元で捉えられている。

まとめ

日本人は基本的に楽観的で肯定的な人生観を持ってるんだなーと思ました。

温暖気候で食べ物にそこまで困らない、水も豊富にある土地柄の影響もあるのでしょう。「祓い」や「清め」といった観念はそれを象徴していると思います。

生きることはプラスあり、死は「穢れ」でマイナスになるわけです。 

神仏習合の際、仏教が優位に置かれたのは日本的に解釈すると、仏教のほうが神道的な「祓い」の力が強いと日本人の眼に写ったからではないのか、と思えてきたりする。

密教護摩焚き供養なんかは玉串を振って祝詞を唱えるのより、厳しく、儀式らしいので、さらに強力に祓ってくれる気がしなくもない。 

神道では「死」を祓うこと、「死」を外側に追いやることしかできないが、日本の仏教浄土真宗)は念仏を唱えることによって、地獄への転生を逃れ、極楽浄土へ往生できるとの教えがありますよね。早い話があの世まで祓ってしまうことができるわけです。 

こういう地域化のことを考えてみると、文化(Culture)というのはやはり土地に根ざすものなんだなあと改めて思います。