ワキタヤ

趣味の日記ブログです

30代から「余生」を生きる

何もかも嫌になって全くやる気が出ないときがある。

それでも会社にはいかないといけない。
働かないと食べていけない。

もう会社をクビになったら死んだらいいんじゃないかなーと思いながら生きている。
実際はクビになっても死なないし、何とかするだろうけど。

幸いというか、独身だし、子供もいない。
結婚して子供がいれば、こんな気持ちにならないのだろうかと思う時がある。
いや、これは俺の個人的な資質なので、結婚して子供がいても同じようなことを考えているだろうな。

今の会社にいても先が見えている。
残り30年近く多分こうなるだろうなー、という先が見えている。

仕事は大して面白くはない。
かと言って、もはや転職するような気概はない。
会社は長くいれば長くいるほど居心地が良くなるものだ。
毎年、絶対に達成不可能なノルマを課せられるが、未達成でもそれほど詰められないのが今の会社の唯一のいいところだ(多少は詰められる)

「何か成してやるぜ!」という心意気は生来ない。
昔から無気力少年であった。
だが、漠然と「俺は大丈夫」という妙な自己肯定感がある。
不思議なものだ。

ストレスフリーで生きていきたいと思う。
生真面目で人の目を気にする性格なので、誰にでもいい顔をしようとしてしまう。
そして、気づかれしてへとへとになる。
夜中に「ただ生きている人生に何の意味があるのか」と考えてしまう。
でも「人生に意味がある」という考え自体がイデオロギーである。

水木しげるは「人生は食って死ぬるだけ」といった。
その通りだと思う。
しかし、その言葉は真正面から受け止めない程度にはまだ自分は若いらしい。

何かをなしたいわけではないが、生きているだけで十分と思いきれない程度にはエネルギーが余っているらしい。
くすぶっているものがある。
だからブログなんてものを書いているわけで。
ブログが生きがいになればいいのになーと思うけど、それほどのやりがいがあるわけではない。
ひっそりと人の目に触れるかわからないポエムを書き連ねる場所があるだけ、昔の人よりマシなのかもしれない。

生きていてもどうしようもない日々、死んだような日々を生きている。
であるならば、いつ死んでもしかたがない、自分はもう「余生」を生きているのだと考えてみることした。

ちょっと気が楽になるし、好きなことをしてみようかなという気分になる。
「何かをしなければ、なさなければ」という焦燥感から少し解放される。
何かをやるにしても、テンションをあげる、モチベーションをあげないとできないことは長続きしない。
テンションを上げなければできないことは、それを避けるかやり方を変えるかをすべきである。

営業マンの世界には「背伸びしなければ背は伸びない」という格言がある。
負荷をかけないと成長しないという意味合いの言葉である。
筋トレにおいても、負荷をだんだん増やしていかないと筋肥大はしない。
毎日ちょっとでも筋トレすることを続ければ、一年後には体は劇的に変わっている。
いかに精神的な負荷をかけないかが物事を続けるかコツである。

「余生を生きている」「いつ死んでもおかしくない」と考えてみると、1日1日が大事に思えてくる。
「明日より良く生きるために、今日をもっと」という気分になってくる。
“やりたいこと”がなくても、“今できること”を丁寧にやろうとするようになってきた。

そのうち“やりたいこと”が出来たら幸せだろうし、なくてももはや「余生」なので、生きているだけでそれなりに幸せである。

しばらくそのようなマインドセットで生きていこうと思う。