Plan B Diary

趣味の日記ブログです

​​俺はゲームが本当に好きなのか問題

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ドラクエ11にはまる

​​8月~9月はドラクエ11ばかりしていた。

ドラクエ8以降なんとなく倦厭していたドラゴンクエストシリーズ。
ヨドバシカメラでなんとなくパッケージを手にとって見たところ、良さそうな感じがしたので、購入する。
TVCMの影響もでかい。

なんだかんだで自分は結構TVの影響を受けているのだなあとぼんやりと思う。

すごく夢中になっているわけではないけれど、止めどきがなかなかなく、なんとなくゲームを進めている内に深夜3時とかになっていたり、客観的に見るとどはまりしているじゃねえか!という状態である。

プレイ時間も100時間を超えているので、まったくいいわけできない(する必要もないが)くらいはまっている状態だ。

​​難易度もぬるいゲーマーには適度なかんじ。
​​シンボルエンカウント方式で戦闘を強制されないのがよい。

​​レベルアップに必要な経験値も進路上にいるザコ敵を倒していくだけで、ゲーム進行に支障がない程度にレベルが上がっていく。
​​スキル取得に関してもゲームを進めていくと、ゴールドを払うことでスキルポイントを回収できる親切仕様。

​​ゲームによってはスキルポイントの再割り振りに非常に手間(時間)がかかるので、今や最大公約数的なRPGにする必要があるドラクエならではのぬるさかなと思う。

ロンダルキアのノーヒント落とし穴みたいなことはもう出来ないのだろう。
難易度高かったよな。ファミコン時代のドラクエ。

​​流行っている要素をドラクエの世界観に合うような形で取り入れ、「これがウチ(スクエニ)の回答じゃい!」というやり方で提示するのがドラクエ8以降のドラクエだろうか。
看板タイトルなので出せば売れるが、制作陣に課せられるハードルは高いという。

ただ​​堀井雄二が関わっている限り、ドラクエはドラクエだろうな。
FFは坂口色が薄くなってからは食指が動かないし。

ドラクエは堀井雄二の文学作品だから、キャラクターデザインが鳥山明、音楽がすぎやまこういちでなくなってもドラクエではあり続けられる気がする。
オールドファンの反発が大きいので、存命の限り3人組で続けるのだろうけど。

​​そんな風にドラクエの世界観(堀井節)に浸って、ロトゼタシア(ドラクエ11の世界)を素材集めにふらふらしているときに、ふと、考えた。

​​俺はゲームが好きなほうだと思っていたけど、本当にゲームが好きなのだろうか、と。

ゲーマーはテキストを読まない?

​​いわゆる「ガチ勢」と言われる人達はゲームが好きな人、「ゲーマー」といっていいだろう。

​​勝ち負けが重要で、世界観やストーリーはゲームのフレーバーでしかないという考え方の人が多いのではないか。

​​この記事によるとゲーマーはテキストを読まないらしい。
参考リンク:
【寺田P×奈須きのこ:対談】庵野「シャアをエヴァに乗せて」→スパロボPはなぜ断ったのか!? Pが語る原作とゲームの狭間の葛藤。そしてFGOがスパロボから継承したもの

​​これは個人的には衝撃だった。

​​FGOってゲーム単体で見ると大味すぎて、お世辞にもゲームとしておもしろいとは言えなくないか?
​​ゲーム部分は物語を彩るもので、制作側もそのつもりでやっている気がする。
物語への没入感を与えるためのゲーム部分であって、テキストが主役のゲームだと考えていた。

​​スパロボ的にシナリオをフックにして、ゲームから得られる情報と自分のオタクデータベースをリンクさせる。
そうやって妄想を膨らませて楽しむ同人誌的な楽しみ方をするものだと思っていたので、テキストを読まない人がFGOをプレイしているのが意外だった。

​​こういう記事を読むと「ああ、自分は本質的にゲームが好きではないのだな」という気持ちになってちょっと落ち込む。

別に落ち込むようなことではないのだけれど。

​ゲームを通しての物語体験が好きなのだ。

​​そういう「ゲーマー」がいてもいいんじゃないか。

物語を体験する手段としてのゲーム

​​ゲームが好きというより、物語を体験する手段としてゲームをしている気がする。

​​感情を追体験する手段としては、漫画を含む読書が一番コストパフォーマンスが高い。

安いし、味わいたい感情にたどり着くまで早い。
映画は時間の流れが前提としてあるが、文章にはそれがない。

文章は読み手次第で調整がきく便利さがある。

​​ゲームはインタラクティブ性があるのが最大の特徴だ。
これはメリットでもあるがデメリットもある。

​メリット部分

​​アドベンチャーゲームで何度も同じ作業(ドアを開ける動作が必要など)をやらせて、「こいつ(主人公)は俺だ!」と思わせるゲームならでは演出法がある。

​​「ヘヴィレイン」なんかはこのあたりの演出が非常にうまい。
車で逃げるシークエンスに鍵を取り出して、鍵を回してエンジンをかけるという一連の動作に全部コントローラを操作(ひねったり、傾けたり)が割り当てられている。

自分が実際、そのような状況に追い込まれたとしたら、気が動転してなかなかうまく体が動かないということを「体験」できる。
これがやっぱりゲームとしての強みだろう。

​​選択肢がまったくない一本筋のノベルゲームでは、マウスをクリックする(ボタンを押す)という行為そのものがゲーム体験といえるのではないか。

​​ページを繰る行為とどう違うのか説明が難しいが、ページをめくる行為は「運動」の一種で、マウスをクリックする行為は、物語の世界を進んでいく意思を象徴する行為に思える。

​​本は読み進めた「ページの厚み」である程度進行度合いを確認できる。

​テキストゲームは画面が固定されているため、五里霧中の中、物語の世界を進むことになる。
​​ノベルゲームはメタな意味合いでもアドベンチャーゲームなのだ。

​​デメリット部分

​​パッケージゲームは資金回収のためにそこそこの価格をつける必要がある。
フルプライスで販売するからにはそれなりの「プレイ時間」をユーザーに与えなければならない。

それゆえ本筋とは必要なさそうなお使いクエストやおまけ要素、ムダに広大なフィールドなどを組み込んでプレイ時間のかさ上げを試みているようなところがある。

これはダウンロード販売が主流になることで回避されるかもしれない。
インディーズゲームの盛り上がることで、フルプライスのゲームは“VR”、インディーズゲームは“ビデオゲーム”といった住み分けがなされるように感じる。

手塚治虫以降「漫画家」という職業ができたように、インディーズゲームディベロッパーという職業が今後は生まれると思う。​​

まとめ

​​シンプルに物語を楽しめるようなゲームが好きだ。
​​ダウンロード販売が主流になることによって、小さく美しい「ものがたるゲーム」が増えていって欲しい。

​​リアリティレベルが高すぎて妄想する余地がなくなるのは勘弁して欲しいが、VRが主流になるとそうなっていくのかも。

そんな​​グラフィックのリアリティを上げる=ハイクオリティという風潮のカウンターとして、「マインクラフト」が流行ったのではないか。
ゲームのおもしろさはゲームメカニズムが決めるのであって、グラフィックではないと。

3DCG技術が成熟しつつあるいま、想像力を使ってゲームの世界に参加するための表現手法が開発されていくだろうな。

ここ10年でファミコン誕生以上のパラダイムシフトが起きそうで、ワクワクする。

これは単なるおっさんのノスタルジーだけど、私はドット絵がやっぱり好きだな~。