Plan B Diary

趣味の日記ブログです

『バーフバリ 王の凱旋』 は面白いけど、バーフバリに全く感情移入できない。

各方面で絶賛されている『バーフバリ 王の凱旋』をちょっと前に見てきた感想文です。

baahubali-movie.com

体調がよくなかったのか映画の世界にスッと入っていけなかった。

というよりバーフバリをはじめ主役が”王道を征く”人たちなので、感情移入が出来なかったというのが正しいか。

主人公の内面の掘り下げがない、というかバーフバリは選ばれし者、完璧な王なので悩みはない。

ナイト・オブ・ゴールドが王者であるがために盾を持たないように、バーフバリは生まれながらの王者なのでやることなすこと全てが正しいのだ。

そこに自分がうまいこと乗っていけなかった。

脇役、悪役のほうが内面の掘り下げがある珍しい映画

悪役の方が人間っぽいことで悩んでいるし、内面の掘り下げがある。

脇役のシヴァガミの支配者でありながら母でもある苦悩や、バラーラデーヴァの「なぜ俺は評価されない!」という妬み・嫉みのほうがビンビン感じられた。

戦隊モノで悪役側の事情が延々と描写され「こいつはこいつでいろいろあったんです」というのが、ストーリーの6割を占めているというか。

同じ貴種流離譚でも「キング・アーサー」はアーサー視点で普通に楽しめた。
カタルシスがあった。

バーフバリは悪役側に感情移入してしまうので、カタルシスがあんまりない。
皆のように「サホーレ、バーフバリ」と呻くことができなかった。

バラーラデーヴァに何故か感情移入してしまって「あの世で俺にわび続けろオルステッド!」って言いたくなった。

王にはなれない自分に打ちのめされる

もし自分が映画の民衆の一人であれば「サホーレ、バーフバリ」と素直にバーフバリを崇めることができるだろう。
神代の時代であれば絶対なる神々しいものに導かれたい、戦って死ぬならそういう者のために死にたいと思うのが当然だからだ。

ただ、なまじ知恵がついてしまってので、そこに絶対に届かない自分を強く意識してしまう。

この映画は英雄バーフバリを描いた物語ではなく、神になれない人間の苦しみを描いた物語なのではないかとさえ思ってしまう。

王者の心は誰の心のなかにもあるということ

バーフバリは本当に神々しく真の男として描かれる。

そのため、逆説的に自分が王ではないことを思い知らせる。
黄金の魂を持っていないことをなじられている気さえする。

バラーラデーヴァが王になっても幸せではなく、デーヴァセーナを虐げているときが幸せだった述懐する気持ちもよく分かる。

卑しい感情だが、神々しいものを貶める快感というやつだ。

デーヴァセーナは劇中で正論しか言わない。
正論なので正しいのだけれども、場の空気を読まずにずけずけ「私は正しい」と主張する感じにイラッとする。

お前は確かに正しいかもしれないけど、みんな悩んでるんだよ!正しさだけで人は救われないんだよ!と思ってしまう。

王道を征けない矮小な人間としての自分を強く意識してしまう。

だがそれ感じる良心、王の心は誰の中にもあるということだ。

それに従えば誰しも王になることが出来るのだ、ということをバーフバリという映画は気づかせてくれる。

コンプレックスをビシバシ刺激されたが、いい映画だと思う。

全体的には娯楽作としてまとまっているし、最新のハリウッド作品と比らべると少し見劣りするが、CG表現に安っぽさはなく迫力ある映像が楽しめる。
役者の演技もいい。

まだ見てない人は是非劇場で見たほうがいいです。

ただ、嵌まれなかった人間もいるということを書き残しておきたかった。