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アメコミの歴史とヒーロー像と仮面ライダーについて

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毎年1作以上アメコミ原作の映画が公開されており、それなりにヒットしているようです。

アメコミについて知っているようで知らなかったので、その歴史について調べてみました。

日本型ヒーローの典型例である仮面ライダーとのヒーロー像の比較についても考察してみましたのでお暇な方はご一読いただければ幸いです。 

アメリカンコミックスとは

アメリカン・コミックス(以下アメコミ)とはアメリカで出版されたあらゆるコミックを指す。

日本ではスーパーヒーロー系コミックを指すことが多い。 

アメリカでの出版数もスーパーヒーロー系が圧倒的に多い。 

アメコミの歴史はおおよそ下記のの3つの時代に分けることができる。

  • ゴールデン・エイジ(1938年~1945年)
  • シルバー・エイジ(1956年~1969年)
  • モダン・エイジ(1980年~)

それぞれの時代の区分はヒーロー像の区分である。 

そう、アメコミの歴史とは、ヒーロー像というものを本質的に突き詰めるとどうなるのか、「ヒーローとは何か」の歴史なのである。 

ゴールデン・エイジのヒーロー 

ゴールデン・エイジのヒーローたちは絶対的な正義のために戦っている。

そしてゴールデン・エイジのヒーローたちがどうしても避けて通れないのが、第二次世界大戦との関わりである。 

日本でも戦前・戦中の時期には戦意昂揚を目的とした漫画が流行ったように、アメコミのスーパーヒーローたちも第二次大戦を舞台に、日本軍やドイツ軍を相手に戦うのである。

スーパーヒーローが戦争に参加するというのはかなり抵抗のある話だが、彼らはあくまで「正義」のために戦うのである。 

この時代のアメリカでは「絶対的な正義」 というものがあるということが、信じられていたのだ。 

シルバー・エイジのヒーロー

対照的に第二の最盛期であるシルバー・エイジではスーパーマンが徴兵忌避したり、スパイダーマンの友人が戦争の心理的後遺症に悩んだりする。 

悩むヒーローの誕生である。 

例としてスパイダーマンが分かりやすい。
スパイダーマンはヒーローであるがゆえに悩む。

「俺は超能力を持っていて、それをみんなのために使いたいから、ヒーローになったのだ」というところまで迷いはなく一気に行ってしまう。

その後「でも正義って何なの?」「俺がやっていることは正しいの?」というところで悩むのである。  

モダン・エイジのヒーロー

モダン・エイジになると、シルバー・エイジに出てきた、個人としてあると同時に、ヒーローとしてあらなければならないという悩みがさらに煮詰まっていく。

ついには、ヒーローの戦いは公的な正義のための戦いから、私的な正義のための戦いにシフトし始める。

例としては「バットマン ビギンズ」から始まるダークナイト3部作がわかりやすいと思う。 

見て絶対損はないので、見てみて欲しい。

バットマン ビギンズ (字幕版)

バットマン ビギンズ (字幕版)

 

モダン・エイジのヒーローたちは、絶対的な正義なんてものはない、あるのは自分の正義だけだと、最終的に自分の戦いを全うするために戦うようになるのである。

以上がアメコミの歴史の大きな流れである。 

仮面ライダーに代表される日本型ヒーローとの比較

一貫して、アメコミのヒーローは「正義」のため、「正しいこと」を実現するために戦い、正しいこととは何のかがわからなくなり悩んでいく。

対して、日本の仮面ライダーは「正義」のためには戦っていない

ザックリとした初代仮面ライダーの導入部のまとめると下記のようになる。

主人公である本郷猛は悪の組織ショッカーに拉致され、改造人間にされてしまう。

 

恩師の手引きで脱出に成功するも、恩師は脱出行の途中で殺されてしまう。

 

本郷猛は恩師の意思を受け継ぎ、ショッカーに立ち向かう

本郷猛がショッカーと戦う理由は、改造された復讐もあるが、基本的には恩師の意思を受け継ぐという非常に個人的な動機からである。

「美意識としての正義」というものは持っているかもしれないが、「正しいこと」のためにショッカーと戦っているわけではない。

仮面ライダーは現れた怪人を倒す。自分から攻め込んでいくことはまずない。
これは平成ライダーも同じだ。 

つまり、仮面ライダーはあるべき姿のため、「正義」のために戦っているのではなく、秩序を乱すものを排斥するために戦っているわけである。

仮面ライダーにとっては、何が正しいかはどうかというのは問題は出ないのだ。 

個人的な考え

少し飛躍した考えかもしれないが、仮面ライダーをはじめ、日本的ヒーロー像に神道的なものを感じる。

神道では、清澄を尊び、「穢れ」を嫌う。 
「穢れ」は「祓う」ことが可能であり、「祓う」ことによって清澄な状態になる。

乱暴に要約すれば、マイナスの要素を外側に追いやってしまえば、内側の秩序は保たれるという考えである。  

まさしく仮面ライダーに代表とされる日本のヒーロー物語そのものではないだろうか。

日本のヒーローは秩序が保たれている状態、つまり「平和」を守るために戦うのである。

日本のヒーローは御祓いをしているのだ。 

繰り返しになるが、そこに「美意識としての正義」はあるかもしれないが、基本的には秩序を乱すものを排斥するために戦っているわけで、何が正しいかはどうかは問うてはいないのだ。

アメリカ的なるもの

そして、アメリカでヒーローや正義がこれほどもてはやされるのは、キリスト教的なものというより、アメリカ的なものが影響しているんじゃないだろうか。 

人は映画を見たり、漫画を読んだり、スポーツ観戦など通じて、物語を代替体験する。

求める物語は人其々であるが、アメコミの歴史を紐解くと、やっぱりアメリカ人は絶対的な正義は存在すると信じたいのではないかと思ってしまう。 

たかがマンガではあるが、たかがマンガだからこそ本音が出たりするものである。

アメリカ人にとって「正義」というのは信じちゃいないけど、やっぱり存在してほしい「本物」なのだろう。 

リンカーンはアメリカのことを「神の選民となるかもしれない国」(God's almost chosen people)と言ったらしい。 

アメリカは建国の時から「自分たちは神から選ばれ使命を与えられた選ばれし者である」という選民思想が国家理念にある。  

人は権力を握ると自己絶対化に陥ってしまいがちである。
「almost」と言えたリンカーンは素直に凄いと思う。  

正義とは何か

「正義」というのは突き詰めていけばファシズムにつながるものである。

大体からして嘘臭いものなのである。 

誰だってソレは知っている。 

多くの人は子供のころに気づき、あきらめることで大人になっていく。 

だからこそ物語の中では、絵空事だろうとなんだろうと、絶対的な真実や正義が存在する様が描かれる。 

本当は信じていないからこそ、自分自身に言い聞かせるように物語に「本物」を求めるのかもしれない。

追記 2016年5月15日

ドナルド・トランプ氏が大統領選挙に向けた候補者選びで共和党の指名獲得が確実となりましたね。

加減な発言をメディアに取り上げられているトランプ氏ですが、大統領になった暁にも今のイケイケ状態のまま行くんでしょうか。

トランプ氏の発言をメディアを通して見ていると、アメリカ型のヒーローを突き詰めるとやっぱり政治家になるしかないよな、との考えに落ち着きます。

自分の行いが本当に正しいと考えているならば、自警団の様に個別に犯罪者を捉えたりするより、政治家になって広く社会に影響を与えることを実施すべきだからです。
(アイアンマンなんかは、金も技術も支持基盤もあるんだから、とっと政治家になりゃあいいんだ。強化スーツきて警察ごっこなんてしてる場合じゃないでしょ) 

そういう意味で己が正しいこと思うことを言いたい放題言って大統領戦の候補にまでなったトランプ氏は、まさにアメリカン・ヒーローなのかもしれませんね。

映画にもなった「ウォッチメン」はかつてヒーローとよばれていた人間が、自分の信じる正しさのために最終的に核戦争を呼び起こす寸前までの行いをしてしまう筋書きなのですが、ドナルド氏がもし大統領になったとしまったら「Who Watch Watchmen?」(番人を見張るのは誰だ)を地でいく状況になってしまいますね。

ドナルド VS ヒラリーの構図になった場合はヒラリーが有利との見方が優勢のようですが、泡沫候補と言われていたドナルド氏がここまで来てしまった時点で、結果がどうなるかなんてもう分かりませんよね。